私のこと

皆さんに
「正しい」を疑おう。
「ダメな自分」を認めよう・・・なんて言ってますが、
「そう言うあんたはどうなの!?」って声が聞こえてきそうです。
そこで、少し自分のことを書いてみます。

実は私はコミュニケーションがまったく苦手です。
よく「話すのが上手ですね」など言ってもらえますが、内心なんとも言えない気持ちになります。
人が苦手なのかもしれません。
その奥には嫌われたくないインチャがあるのだと思いますが、人懐こい自分は作り上げたペルソナなのかなと思います。

本当は話すのが大の苦手です。

どう見られてるかが怖い。
期待に応えられないと怖い。
そもそも期待なんてされてないんじゃないかと思うととんでもなく恐ろしい。
それだったら一人でいいやと思ってしまいます。

子ども時代にいじめられていて、殴られたり殴り合いする方が、シカトされるより何万倍も楽でした。
誰にも相手をされなくなるのが一番怖かった。
だから、物心がついてから何としてでも無視されない存在になろうとしていたと思います。
無視できない存在=優秀な存在。
でも、優秀なんてそうそうなれない。
その時は批評家のように上から目線で講釈垂れて、さも価値があるように思いこんでいた、
学生時代のクラブや会社員時代も今思えばそうだったと思います。
アウトローを装って、大多数に反発してみたり、上司に反発してみたり。
正論ぶっているけど、結局はうまく協調できないだけだったと思います。
そんな自分を「あいつらはダメだ」っていう理屈で自分を守っていました。

その一方で、飲み会なんかが苦手で苦しくて。
「なんでこの人たちはこんなに楽しいんだろう」と冷めた気持ちでいることの方が多かったのです。
だからなのか、心の許せる友人と云う奴は、同門の仲間以外では一人か二人しかいません。

その一方で、嫌われたくないから道化を演じる。
「話すのが上手い」と仰っていただけるのはここで身に付けたスキルでしかないと思います。
何を話せば相手が喜ぶか、嫌われないか、場が明るくなるか。
必死で身に付けたスキルです。
それは裏返せば、自然体では相手を喜ばせることはできないし、うまく伝えられないし、気も回らないということです。

先生との個別レッスンではいつも汗だくです。
言いたいことや伝えたいことが多すぎて、上手く伝えることができないのです。
多分何言ってるのかわからないような状態です。
あれやこれや言葉ばかりが多くなって、結局何を言ってるのかわからない。
先生は言葉ではないところを観ていただいているので安心ですが、それも汗だく。
毎回御迷惑をおかけしていると思います。

思い起こせば、伝えることにコンプレックスがあったのだと思います。
「わかってもらえない」
恋愛などでも同じでした。
上手く伝えられない、誤解される。何度も痛い思いをしました。

伝えることがとても苦手で、わかってもらえないのは「伝え方が悪い」からだと信じていました。
わかってもらえないなら伝えるスキルを磨こうと頑張ってきたのだと思います。
それはもちろんこの世的な努力という意味で。
こんなに頑張ったのに相手は「わからない」
それって「わかろうとしていない」んだと決め付ける。
だから、わかってもらえないことがとても怖い。
時に恐れが行きすぎて怒りさえ感じることもあります。
この世的な努力をやりすぎたから、「わかってもらって当然」という意識があるのかもしれません。
自分は正しい。
わかってもらいたい。
わからせたい。
先生になりたい意識とでも言うのでしょうか。
ものっそい、偉そうです。
偉そうな意識ですが、こう考えるとただただ怖がっているんだなと思います。

そんな自分だから、コミュニケーションが本当に苦手です。
何を話せばいいのかわからないのです。
だから役に立とうと頑張ってきたと思います。
役に立つ時だけ満たされるのです。
でも、言いかえると役に立つ時しか需要がありません。

「上手く使われる」ことに腹を立てつつ、「上手く使われてもいい」から役に立ちたい。
必要とされる価値ある自分と思われたいという気持ちと、役に立たない時に自分は誰にも必要とされないんだという矛盾に苦しんだこともあります。
一人でいるとさびしいけれど、集団でいるともっと孤独だ。
この勉強に出会うまでは。ずっとそんな感じを繰り返してきました。
だから、上手くつかわれる=優しくされる=価値がある・・・。
「自分は役に立たないと価値がない」いう意識も強いと思います。
だからこの場面でどう振舞ったら「役に立つ」のかを終始考えているように思います。
純粋に相手の為でもなく、ただ怖いからなんですね。
結局、「人の役に立つ仕事がしたい」と治療家を目指しましたが、それも自分を安心させたかっただけだったのかなと思います。

その一方で、できる振り・役に立つ振りをずっとしてきましたが、決められたことができないのです。
決められたことを決められた通りにするのが本当にできない。
いろんな場面で(神事の準備とか)大汗かいてやっている時は大抵そんな感じです。
一生懸命やろうと、楽しもうと思っていてもどうしても上手くできません。
そう考えると今まで選んできたバイトや仕事は自分裁量でこなせるものばかりでした。
学生時代やっていたファミレスのバイトも緊張で料理を運ぶ時に汗が入りまくって叱られて・・・やらなきゃいけないルーチンはどうしても覚えることができません。
交通誘導のガードマンやってた時は誘導した車をオカマさせたこともあります。
決まったことをする仕事、ただそれだけのことが本当にできませんでした。
というか、私の場合、好き勝手できないと何にもできないという弱さがあるのだと思います。

上手く続けられたのは塾の講師のバイト。
あの時は何にも考えてなかったけど、授業に入れば自分のペースで、自分に生徒が従ってくれる環境が楽だったのかなと思います。
会社員時代も、営業はすべて自己裁量。
その意味で性に合っていたのだと思います。
折衝中は誰にも文句を言われない、結果さえだせばいい。
自分ひとりの舞台ですから。
だから気を遣わなくていい、慕ってくれる後輩ばかり身の周りにおいてました。
成績さえ上げれば認められる。
認められるために必要な「正しさ」が手に入るのです。
でも、それは自分じゃない。
自分が愛されてるんじゃない。
だからいつまでも満たされないし、苦しかったんだと思います。

例えば飲み会。
上司が入ってくるなんてとんでもない。
私が大事にされなくなるし、私自身が気を使わなくてはいけない。
例え同期でも後輩でも、優れてそうなやつはいらない!
私の価値が埋もれてしまうじゃない!
今思えば、そんなことばかり考えてたと思います。
慕ってくれる、(口では)尊敬してくれる後輩ばかり集めていたのは
結局言いなりになってくれるからだったんだなと今になって思います。

とは言っても、根回しや社内営業も必要です。
最低限の社会人としてのコミュニケーション力はこの時養われたと思っています。
鍛えられた部分もあると思います。
「伝える」というスキルも。
その意味では感謝しています。
でも、それはこの世的なスキルでしかなかったんだと最近思います。
私自身が変わったわけではなかったのです。
結局はお山の大将でいたかっただけなんだと思います。

実は私は勉強会が苦手です。
する方です。
必ず「わかってくれない」人がいるからです。
質問されたり、ダメ出しされる時、心の奥底で怖がっている自分に気づく時があります。
普段はダメ出しされにくい環境にいる私にとってありがたい環境です。
何より生徒さんの存在は非常にありがたいのです。

同じようにたくさんの人とまみえる神事も今の私にとっては大切な場所です。
一人じゃないから気が付けることがたくさんあります。
どうしようもないところはどうしようもないのですが、こうやって書いてみると恥ずかしいと思いつつ、可愛い自分だともちょっぴり思ったりしす。

この勉強にあえて幸せです。
もうどうしようもないくらい、上には上があるんだから。
あんまり上過ぎて、優劣なんてどうでもいいって。
もう比べようなんて考えもしないですむはず。
インチャさんはなかなか納得してくれないけど、
昨日の自分とだけ比べられるようになりたいです。
一人相撲のお山の大将をやめて、今までの人生を認めることができるように、
自分と戦えるように、もっと自分を許せるように頑張っていきたいと思います。

スキルを自分自身だと勘違いして「わからせたい」をまき散らせたように思います。
ほんとすみません。
でも、スキルは苦手の裏返し。できない自分の裏返し。
この文章も長ったらしいし・・・
やっぱり伝えるのは苦手だなぁ。
スキルはスキルとして、使う時にだけ使えばいいや。

その奥にある傷を癒しながら、伸ばすべき良いとこ見つけていきたいと思います。
改善できるところは頑張って、できるかどうかは別にして。
こんな私ですが、どうかこれからもよろしくお願いします。

竜ヶ岳峰入り

本日、滋賀県と三重県の県境に座す竜ヶ岳に峯入りして来ました。

日月庵に集う21名でお山に入らせていただく喜びを共にしました。

8月の台風で登山道に至る道が崩壊して長く通行止めになっていたりと不安要素もありましたが、無事に満行することができました。
曇天の中の行でしたが、山頂に近づくにつれ雲が晴れ、本当に素晴らしい天候の中で全員無事に満行することができました。

決して楽な行程ではありませんでした。
しかし、ただ目の前の一歩一歩を進めていく。
繰り返し、繰り返し、黙々と、歩みをただ繰り返す。
誰もが黙々と、泣き言も言わずに歩みを進める姿を見守りながら
最後尾から手を合わせる気持ちで私も行じさせていただきました。
やがて視界が青空の一色だけになった瞬間の喜びを忘れることはできません。

下山時には、歩んできた道の厳しさを改めて知ることができたのではないでしょうか。
それは、必ず自信になると思います。

弱さや至らなさも見えたことでしょう。
それは必ず新しい目標になると思います。

参加者の峯入り後の変化を観るに、やはり峯入りの、お山の素晴らしさを実感しました。

峯入りの幸せに浴することができたことを本当に嬉しく、またありがたく感謝するばかりです。

 

 

山の神さま仏さまに、師に、そして様々な事情の中で
送り出してくれた皆さんの家族に
心から感謝いたします。

合掌

言いたいことが言えないなら

どう思われてるか怖い。

嫌われてるんじゃないか。

そんなことを考えて悩んでしまう。
良くあることです。

そういう時に良く見なきゃいけないことがあります。

言いたいことを“正しく”言えているか。

“正しく”が曲者なんですね~。

相手を変えようとしていない。
自分が間違ってるかもしれないけれど・・・
それでも、◎◎と感じてしまう。

このあたりを気をつければいいのかなって思います。

要は、
乱れながら伝えないこと。

乱れてしまうと、命令になります。

相手がその通りにうごいてくれるか否か
自分の存在を賭けたギャンブルです。
それは正しくないですね。

だって、自分を粗末にしてる。
相手も大事にできてない。

たとえ間違ってても、
たとえわがままでも、
自分が間違ってるかもって思いながらなら
乱れることなく【伝える】ことができるはず。

叶ったらうれしいけど、叶わなくても大丈夫。

相手を主語にしないで
自分を主語にして伝えてみれば
何か変わるかもしれません。

さようなら

全然関係ないことですが。

地元のイトーヨーカ堂が閉店してしまいました。

昨年亡くなった母が大好きで、

子どもが生まれてからずっと家族のお出かけの最後は
ヨーカ堂での買い物が定番コースでした。

父がおもむろに、
「閉店セレモニーに行きたい!」と言い出し、
家族で最後のお別れに行ってきました。

店員さんも涙、涙。
もらい泣きして涙ぐみながら手を振ってお別れ。

本当にありがとうございました。

家族の思い出の場所が無くなるのは
時の流れとはいえ寂しいものです。

本当にお疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。

性格はプログラム

性格こそ自分自身だと考えしまうものです。

怒りやすい
正義感が強い
負けん気が強い
弱虫
あきっぽい・・・

性格と云うのは
実は過去の行動パターンのデータの集まりです。

○○になった時は、△△したらう・・・うまくいった

その経験の積み重ね、プログラムなのです。

だから、
過去に辛いことがあった分、
性格ははっきりと偏ります。

こんな自分は嫌だ。
自分はどうせこんなもんだ。

そう思う人ほど、
「逃げられない、どうしようも無いほど辛い過去があった」
・・・と云う事なんじゃないかと思います。

過去が辛かったのなら・・・
そんな性格、手放しちゃいましょう。

今までの当たり前、捨てちゃってもいいじゃん!

自分を疑ってもいいじゃん!

なりたい自分になればいいんです。
そのために
自分で自分を縛るプログラム。

後生大事に守るのはやめたいですね。